自然界は、よくできた仕組みで満ちています。鳥には飛ぶための翼があり、動物の親は子どもを守り、仲間同士の争いにも一定の歯止めがかかっているように見えます。こうした現象を眺めていると、生き物の身体や行動は、種が存続できるように巧みに設計されているのではないかと思えてきます。

この直感を理論にしたのが、グループ淘汰説です。個体にとって不利な行動であっても、集団や種全体の存続に役立つなら、そのような行動を備えた集団が生き残り、進化していくという考え方です。

ところが、動物の暮らしを野外で詳しく観察すると、この美しい説明に収まりきらない事実が次々と見つかりました。新しい群れのリーダーになった雄が、群れにいる子どもを殺す。親鳥が自分の巣に近づいた別のひなをつつき殺す。成長した動物が、同じ種の幼い個体を食べてしまう。

なぜ、生命を次世代へつなぐはずの動物が、同じ種の子どもを殺すのでしょうか。種の存続が何よりも重要なら、なぜ種の繁殖を妨げるような行動が繰り返し現れるのでしょうか。

こうした事実は、動物の行動を「種のため」という目的だけで説明することの難しさを浮き彫りにしました。そこから見えてくるのは、生き物が必ずしも種全体の利益を目指して行動しているわけではないという、進化を理解するうえで重要な視点です。

Contents

1. 「種を守るために生きる」という考え方が揺らぎ始めた

個体の利益よりも、種の存続を優先する説明

1960年代ごろまで、動物の行動には、種を維持するための仕組みが備わっていると説明されることが広くありました。

動物が食物を得るために活動し、敵から身を守り、繁殖し、子どもを育てるのは、個体が生きるためであると同時に、種族を維持するためでもあるという考え方です。さらに、個体が死ぬことについても、集団に資源を残し、次世代の生存を妨げないという意味が与えられることがありました。

この考え方に立つと、自然淘汰は個体だけでなく、集団にも働くことになります。集団の存続に有利な社会システムを備えた種が、そうでない種よりも生き残りやすくなるからです。

たとえば、仲間同士の殺し合いを抑える仕組みを持つ動物の集団は、互いに殺し合う集団よりも多くの個体を残せるかもしれません。繁殖が過剰にならないよう調整する能力を持つ集団も、資源不足による崩壊を避けられるかもしれません。

個体にとっては不満や不利益があっても、集団全体にとって有利なら、その性質は集団を存続させる仕組みとして理解できるというわけです。

自然淘汰を集団の単位で説明する

このような考え方は、グループ淘汰説と呼ばれます。英語の group selection に由来する名称で、自然淘汰が個体だけではなく、集団間の存続や繁殖の差を通じても進化に影響するという考え方です。

グループ淘汰説には、直感的に理解しやすいところがあります。集団を構成する個体がばらばらに振る舞うだけでは、集団の存続が難しくなる場合があるからです。個体同士の争いを抑え、繁殖や資源利用に一定の秩序をもたらす仕組みがあれば、集団全体としては有利になることがあります。

しかし、ここには一つの難問があります。集団全体に有利な仕組みが、どのような過程で進化するのでしょうか。

ある個体にとって、自分の繁殖機会を譲ったり、資源をほかの個体に残したりすることが不利であれば、その個体は集団の利益より自分の利益を優先するかもしれません。集団全体に有利な性質が、個体間の競争の中で失われてしまう可能性もあるのです。

グループ淘汰説が成り立つためには、単に「集団にとってよい結果が生じている」と示すだけでは足りません。個体に不利な性質が、なぜ集団内で維持され、どのような条件で集団間の差を通じて進化するのかを説明する必要があります。

その問題を鋭く突きつけたのが、1970年代以降に報告された動物の行動でした。とりわけ大きな衝撃を与えたのが、野生のサルで観察された子殺しです。

2. ハヌマンラングールの子殺し――群れの乗っ取りで何が起きるのか

Hanuman Langur
Female Gray langurs, also called Hanuman langurs or Hanuman monkeys (Semnopithecus)  and her little baby.

Hanuman Langoor and Young one, Corbett National Park, India

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「神猿」として知られるサルの意外な行動

インドに広く分布するハヌマンラングールは、現地で神聖な存在として扱われてきたサルです。雄一頭が複数の雌とその子どもを伴う群れをつくることがあり、その社会構造は、群れの維持や子育てを考えるうえで興味深い研究対象になってきました。

このサルの行動を詳しく調べたのが、霊長類研究者の杉山幸丸です。杉山は1962年、雄たちが既存の群れを襲い、リーダーの雄と激しく争う様子を観察しました。

争いは単なる威嚇ではありませんでした。雄同士は何度も衝突し、相手にかみつき、負傷することもありました。やがて、旧リーダーの雄が群れを維持できなくなり、新しい雄が雌たちを率いるようになっていきます。

ここまでは、繁殖相手や群れの支配権をめぐる競争として理解できます。しかし、群れの再編成に続いて起きた出来事は、当時の動物観を大きく揺さぶりました。

新たなリーダーになった雄が、群れにいた子どもたちを攻撃し、殺していったのです。

なぜ、新しいリーダーは子どもを殺すのか

子殺しという行動は、種の存続という視点から見ると、非常に奇妙です。殺された子どもたちは、いずれ成長して繁殖する可能性を持っていました。彼らが生き残れば、将来の世代を生み出すことができたはずです。

それなのに、新しいリーダーは、雌たちが抱いている子どもを攻撃しました。母親を傷つけることよりも、子どもそのものを狙うような行動も観察されています。

なぜ、そのようなことが起きるのでしょうか。

一つの手掛かりは、繁殖をめぐる雄の競争にあります。群れを乗っ取った雄にとって、雌たちが育てている子どもは、以前のリーダーなど、ほかの雄の遺伝的な子孫である可能性があります。子どもが生きている間、雌は授乳や養育に多くの時間とエネルギーを使い、繁殖に向けた状態になりにくいこともあります。

そこで、新しい雄が子どもを殺すと、雌は養育を続けられなくなり、再び繁殖可能な状態へ移行することがあります。新しい雄は、雌たちとの繁殖を通じて、自分自身の子孫を残せる可能性を高めます。

この説明では、雄が行動している理由は「種の子どもを減らすため」ではありません。自分の繁殖機会を確保することに関係していると考えられます。

もちろん、動物が人間のように計画を立て、「他者の子を殺せば自分の子を残せる」と言葉で考えているという意味ではありません。重要なのは、行動がもたらす繁殖上の結果と、その行動が進化の中で維持される仕組みです。

子殺しは例外的な事件ではなかった

杉山の観察が大きな意味を持ったのは、子殺しが一度限りの異常な事件ではなく、群れの乗っ取りに伴って繰り返し起きる行動だとわかったことです。

それまでの一般的な見方では、動物は同じ種の仲間をむやみに殺さず、とりわけ子どもを守るための仕組みを備えていると考えられていました。子どもが丸みを帯びた体つきなどを持つことで、成体の攻撃を引き起こしにくくなるという説明もありました。

ところが、ハヌマンラングールの新しいリーダーは、その子どもを狙って攻撃しました。子どもを守るための仕組みが存在するとしても、それがあらゆる状況で働くわけではなかったのです。

この観察は、「動物は種を維持するように行動する」という説明に、根本的な疑問を投げかけました。種の繁殖を支えるはずの子どもを、同じ種の成体が、しかも群れの支配権を得た雄が殺す。これを種全体の利益だけで説明するのは、容易ではありません。

3. ライオンも子どもを殺す――種の存続より、自分の子孫

South Africa Wildlife
30 Unforgettably Sweet Moments Between Animal Moms and Babies | National Geographic

Scarface the real lion king - 30 Jul 2020 - BBC Wildlife Magazine - Readly

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群れを乗っ取った雄ライオンの行動

ハヌマンラングールの子殺しは、サルだけに見られる特殊な現象ではありませんでした。ライオンの群れでも、よく似た行動が観察されます。

ライオンは、複数の雌と子ども、そして一頭または複数の雄からなる「プライド」と呼ばれる群れをつくります。若い雄は成長すると生まれ育った群れを離れ、ほかの雄と連合を組むなどして力を蓄え、別の群れを奪おうとすることがあります。

新しい雄たちが群れを乗っ取ると、そこにいた子どもたちが殺される場合があります。その後、雌たちは新しい雄と交尾し、やがて新しい子どもが生まれます。

この行動を、種全体の利益という観点から説明するのは難しいことです。すでに生まれているライオンの子どもを殺しても、ライオンという種の個体数が増えるわけではありません。むしろ、子どもを育てるために費やされた母親のエネルギーや時間が、繁殖につながらずに失われることになります。

それでも子殺しが起きるのは、新しい雄にとって、群れ全体の子どもを維持することよりも、自分自身の子孫を残すことが重要な結果につながる場合があるからです。

「ライオンの子」ではなく「自分の子」が重要になる

種の存続を中心に考えると、ライオンの子どもは、どの雄の子であっても同じ種の次世代を担う存在です。しかし、繁殖競争という視点から見れば、雄にとってすべての子どもが同じ意味を持つわけではありません。

群れを乗っ取った雄は、以前の雄が残した子どもより、自分の子どもを残したいという繁殖上の利害を持ちます。既存の子どもを殺すことで雌が再び繁殖できる状態になれば、自分の子孫を残す機会が早まる可能性があります。

ここで対照的なのは、二つの説明の出発点です。

グループ淘汰説は、集団全体がどのように存続するかを中心に考えます。それに対して、繁殖競争を重視する説明は、個体の行動がその個体自身の繁殖成功にどのような影響を与えるかを問います。

ライオンの子殺しは、後者の視点から見ると理解しやすくなります。雄はライオンという種のために行動しているというより、自分の子孫を残す機会を得ようとしていると考えられるからです。

この違いは、動物が意識的に利己的な計画を立てているかどうかとは関係ありません。進化を説明するうえで重要なのは、ある行動をする個体が、結果としてどれだけ繁殖に成功するかという点です。

4. 子どもを守る仕組みがあるのに、なぜ子どもが殺されるのか

「かわいい」と感じさせる幼児図式

動物の子どもは、丸い顔、大きな目、短い手足、ふっくらとした体つきなど、成体とは異なる特徴を持つことがあります。こうした特徴は、人間が動物の子どもを見て「かわいい」と感じる理由の一つでもあります。

動物行動学者コンラート・ローレンツは、子どもに見られる特徴が成体の養育行動を引き出す働きを持つと考え、これを「幼児図式」と呼びました。幼児図式に相当する特徴を持つ対象に対して、保護や世話をしたくなる反応が生じるという考え方です。

この見方は、人間が動物の子どもをかわいいと感じることや、成体が子どもを保護する行動を理解するうえで、影響力のある説明になりました。動物の子どもは、成体から攻撃されにくくなるだけでなく、養育を受けやすくなる仕組みを備えていると考えられたのです。

また、動物によっては、子どもの時期だけ目立つ体色を持つことがあります。こうした特徴も、成体に対して「これは子どもである」と知らせる働きを持つ可能性があります。

これらの説明は、子どもを保護する仕組みが進化してきたことを理解する手掛かりになります。しかし、子どもを保護する仕組みがあることと、同じ種の子どもが決して殺されないことは同じではありません。

子どもを守る仕組みは、絶対的なルールではない

ハヌマンラングールの観察は、子どもを保護する行動が、どのような状況でも一律に働くわけではないことを示しました。

群れの乗っ取りという状況では、新しい雄が子どもを攻撃し、母親が守ろうとしても、子どもが命を落とす場合があります。子どもを保護する傾向があるとしても、それを上回る別の行動が生じることがあるのです。

この事実は、自然界の仕組みを「種のためにできている」という一つの原理でまとめることの難しさを示しています。子どもを保護する行動も、繁殖競争も、動物の進化に関係する可能性があります。状況によっては、これらの仕組みが互いに衝突することもあります。

生物の行動は、いつでも集団全体の調和を保つように働くわけではありません。ある行動が一つの状況では有利でも、別の状況では不利益をもたらすことがあります。自然界には、すべての個体にとって都合のよい解決策が用意されているとは限らないのです。

「自然はうまくできている」という説明を疑う

動物の身体や行動には、驚くほど精巧な仕組みがあります。翼、くちばし、感覚器官、子育ての行動などを見れば、生命が環境に適応してきたことを実感できます。

しかし、そこから「すべての仕組みは種を守るために存在する」と結論づけると、現実を見誤ることがあります。子どもを保護する仕組みがある一方で、同じ種の子どもを殺す行動も存在するからです。

自然界の仕組みは、誰かが全体を見渡して最適な形に設計したものではありません。進化は、個体や集団が置かれた条件のもとで、生存や繁殖の差が積み重なっていく過程です。その結果、ある場面では有利な性質が、別の場面では不利益をもたらすこともあります。

「自然はうまくできている」と感じる現象の裏側には、必ずしも調和や全体の利益だけがあるわけではありません。競争、衝突、失敗、死もまた、進化の過程に含まれています。

5. カモメやカエルにも見られる同種の子どもへの攻撃

巣の境界を越えたひなは、なぜ殺されるのか

Meditteranean Gull in Colony of Black-Headed Gulls
Quivering bird eggs prep each other for predators before they hatch | NOVA | PBS

Social interactions among black-headed gulls in a breeding colony

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子殺しや同種の子どもへの攻撃は、サルやライオンのような哺乳類だけに限られません。カモメの仲間にも、同じ種のひなを攻撃する行動が見られます。

カモメの中には、海岸の草地などに多くの巣をつくり、互いに非常に近い距離で繁殖する種があります。巣と巣の間隔が狭いため、ひなが歩き回ると、隣の巣に入り込んでしまうことがあります。

そのような場合、隣の巣の親鳥が、入り込んできたひなをつついて殺すことがあります。親鳥は、自分のひなを守るために巣を離れないようにし、つがいの一方が餌を探しに出かける間、もう一方が巣を守ることもあります。

ここで注目したいのは、カモメが自分のひなを守る一方で、別の巣のひなには攻撃を加えることがあるという点です。同じ種のひなであるというだけでは、必ずしも保護の対象にはなりません。

同じ種であることより、目の前の状況が重要になる

種全体の存続を最優先するのであれば、カモメは同じ種のひなを互いに保護したほうがよいように思えます。どのひなも、将来の繁殖を担う可能性があるからです。

しかし、実際の行動はそのようにはなっていません。親鳥は自分の巣を守り、そこから出てきたひなを攻撃することがあります。

こうした行動は、個体の行動が必ずしも種全体の利益に向けられていないことを示しています。親鳥にとっては、自分が育てているひなを守ることが重要であり、隣の巣のひなを保護することが同じように重要とは限りません。

同じ種に属しているという分類は、生物学的には重要ですが、個々の動物がその分類を理解し、種全体の利益を考えて行動しているわけではありません。目の前の相手が自分の子なのか、巣に入り込んだ別のひななのか、脅威となる存在なのかといった条件が、行動に影響している可能性があります。

親が自分の種の子どもを食べることもある

さらに、動物の世界には、成体が同じ種の幼い個体を食べる「共食い」と呼ばれる現象もあります。

たとえば、ヒキガエルでは、春に卵からかえったオタマジャクシが成長し、やがて大量の小さなカエルが陸へ上がってきます。その時期には、成体のヒキガエルが小さなカエルを食べることがあります。

魚類でも、親魚が卵や稚魚を食べてしまう場合があります。水槽で魚を繁殖させる際に、親魚と卵を分けて管理することがあるのは、こうした行動を防ぐためです。

もちろん、共食いが起きる理由は動物の種類や状況によって異なります。食料不足、個体の密度、繁殖の仕組みなど、さまざまな要因が関係しえます。すべての共食いを、意図的な個体数調整として理解することはできません。

それでも、こうした現象は、同じ種の個体を保護することが自然界の絶対的な原則ではないと教えてくれます。種の存続という大きな目的を想定するだけでは、個体が実際に示す行動を十分に説明できないのです。

6. チンパンジーやゴリラの子殺し――動物社会にも権力と競争がある

チンパンジーの社会は、単純な仲良し集団ではない

チンパンジーは、複数の雄と雌が同じ集団で暮らしながら、状況に応じて小さな集まりをつくったり、別々に行動したりする社会を形成します。群れの構成員がいつも一緒にいるわけではありませんが、雄同士の結びつきや順位関係があり、繁殖をめぐる競争も存在します。

動物の社会を、仲間同士が協力し合い、集団全体の利益を守る仕組みとしてだけ捉えると、こうした関係の複雑さを見落としてしまいます。チンパンジーの社会では、協力と競争が同時に存在し、仲間同士の結びつきが、権力や繁殖機会をめぐる争いと結びつくことがあります。

チンパンジーによる子殺しについても、当初は例外的な行動として受け止められることがありました。しかし、野外研究が進むにつれて、子どもへの攻撃が特定の異常な個体だけに限られるわけではなく、集団間の対立や個体間の関係に結びついて起きる場合があることが明らかになっていきました。

子殺しは、単なる異常行動として片づけられない

動物が同じ種の子どもを殺すと聞けば、病気や異常なストレスによって引き起こされた特殊な行動だと考えたくなるかもしれません。実際、異常な状況や個体の状態が行動に影響する場合はあります。

しかし、野外で繰り返し観察される行動を、すべて異常な例外として扱うことはできません。特定の条件で繰り返し起きる行動であれば、それがどのような社会的・生態的条件と結びついているのかを調べる必要があります。

重要なのは、子殺しが「よい行動」か「悪い行動」かを判断することではありません。なぜその行動が起きるのか、どのような条件のもとで繰り返されるのか、行動する個体と影響を受ける個体にどのような結果が生じるのかを明らかにすることです。

この点から見ると、子殺しを「種を守るための個体数調整」と説明するだけでは、十分ではありません。種全体の繁殖を維持するために子どもが殺されるという説明では、なぜ特定の個体が攻撃されるのか、なぜその行動が特定の社会的状況で繰り返されるのかという問題が残ります。

ゴリラにも見られる繁殖をめぐる競争

ゴリラでも、群れを形成する雄が、雌の子どもを殺す場合があります。

若い雄が独立し、新たに群れをつくろうとするとき、繁殖相手を得ることは大きな課題になります。しかし、出会った雌がまだ子どもを育てている場合、すぐに繁殖できる状態にあるとは限りません。

子どもを失った雌が、その後に繁殖可能な状態へ移行することがあれば、雄の子殺しは、繁殖をめぐる競争と関連づけて考えられます。ここでも、種全体の個体数を調整するという説明より、雄自身の繁殖成功に注目するほうが、行動を理解しやすい場合があります。

ただし、ゴリラやチンパンジーの行動を、単純に人間の政治や権力闘争と同じものと考えることもできません。動物の社会関係には、その種の繁殖様式や生態、個体間の関係などが影響します。人間の社会制度と直接同一視するのではなく、動物の行動を生物学的な条件のもとで理解することが大切です。

それでも、これらの観察は、動物社会が種全体の利益に向かって一体となっているわけではないことを明らかにしました。集団の中では、個体ごとに異なる利害が存在し、その利害が衝突することもあります。

7. グループ淘汰観はなぜ崩れたのか

種全体の利益では説明できない行動が次々と見つかった

ハヌマンラングール、ライオン、カモメ、チンパンジー、ゴリラなどの事例には、共通する問題があります。それは、個体の行動が、種全体の存続にとって明らかに望ましいとはいえない結果を生み出していることです。

新しいリーダーが子どもを殺せば、その子どもが将来残したはずの子孫は失われます。カモメが隣の巣のひなを殺せば、同じ種の次世代を減らすことになります。成体が自分の種の幼い個体を食べる場合も、種全体の存続だけを基準にすれば、説明が難しくなります。

こうした行動が見つかるたびに、動物は同種の仲間を殺さず、子どもを守り、集団全体の維持に役立つように行動するという見方は、修正を迫られました。

ここで崩れたのは、動物が集団の利益に反する行動を一切しないという単純なイメージです。実際の動物社会には、協力もあれば競争もあり、子育てもあれば子殺しもあります。集団の中で、すべての個体の利益が一致しているわけではありません。

「種のため」という説明では、個体の利害が見えなくなる

グループ淘汰説の説明では、個体の行動が集団全体にどのような利益をもたらすかが重視されます。しかし、その視点だけでは、個体ごとの繁殖上の利害が見えにくくなります。

たとえば、ある雄が新しい群れを獲得し、以前の雄の子どもを殺す場合、その行動は集団全体の利益よりも、行動した雄自身の繁殖機会と関係している可能性があります。

この場合、雄が行動することで利益を得る一方、子どもや母親など、別の個体は大きな不利益を受けます。集団全体を一つのまとまりとして見てしまうと、こうした利害の対立を説明しにくくなります。

進化を理解するには、誰が利益を得て、誰が不利益を受けるのかを区別する必要があります。集団にとって有利な結果が生じたかどうかだけでなく、個体ごとの生存や繁殖にどのような影響があったかを考えなければなりません。

自然界は、種の存続を目的に動いているわけではない

ここで重要なのは、動物が意識的に「自分の利益を優先しよう」と考えているという意味で、利己的だと断定することではありません。

進化生物学で問題になるのは、行動する個体がどのような意図を持っているかだけではなく、その行動が生存や繁殖にどのような結果をもたらすかということです。

個体がある行動をとった結果、より多くの子孫を残せるなら、その行動に関係する性質が次世代に受け継がれやすくなる場合があります。反対に、集団全体に有利に見える行動であっても、それをする個体が繁殖上の不利益を受けるなら、その性質が個体間の競争の中で維持される仕組みを説明する必要があります。

つまり、自然界を理解するためには、生命全体が一つの目的に向かっていると考えるのではなく、個体ごとの行動と、その結果として生じる進化上の差を調べることが重要なのです。

8. 個体は種のために生きるのか――進化を考える視点の転換

集団の利益と個体の利益は一致するとは限らない

グループ淘汰観の崩壊が示した重要な点は、集団全体の利益と個体の利益が、いつも一致するわけではないということです。

集団が長く存続するためには、個体同士の協力や一定の秩序が必要になる場合があります。しかし、同じ集団の中でも、繁殖相手や資源をめぐって個体の利害が対立することがあります。ある個体にとって有利な行動が、別の個体にとっては不利益となり、結果的に集団全体にも悪影響を及ぼすことがあります。

子殺しは、その対立が極端な形で現れた例です。行動する雄が繁殖の機会を得る一方で、殺された子どもは将来の繁殖の可能性を失います。種全体の利益だけを考えていると、この個体間の違いを見落としてしまいます。

したがって、動物の行動を理解するには、集団全体の存続を考えるだけではなく、個体が置かれた状況や繁殖上の利害にも注目する必要があります。

「種を維持する仕組み」と「自分の子孫を残す仕組み」は違う

種は世代を超えて存続します。しかし、種が存続しているからといって、個体が種の存続を目的に行動しているとは限りません。

ライオンの雄は、ライオンという種全体の繁栄を考えているわけではなく、自分自身の子孫を残す機会を得ようとしていると説明できる場合があります。カモメが自分の巣を守ることも、種全体のひなを守ることとは異なります。

このように、種の存続という大きな結果と、個体の行動を生み出す仕組みは区別しなければなりません。

自然淘汰の結果として、種の存続に役立つ性質が残る場合はあるでしょう。しかし、すべての性質が種の存続を目的として進化したと考えると、個体間の競争や、集団に不利益をもたらす行動を十分に説明できなくなります。

生物の進化を理解するには、行動の結果を見て目的を推測するだけでなく、その行動がどのような条件で生じ、どのような生存・繁殖上の結果をもたらすのかを調べる必要があります。

個体の死を「種のため」と決めつけない

グループ淘汰観が揺らいだことは、個体の死を理解するうえでも大きな意味を持ちます。

個体が死んだ結果、ほかの個体が資源を得たり、集団が存続したりする場合はあります。しかし、その結果だけを根拠に、個体の死が種のために起きたと説明することはできません。

動物の死には、繁殖競争、捕食、病気、事故、環境の変化など、さまざまな原因があります。ある個体の死が集団に影響を与えることと、その死が集団を維持するために進化した仕組みであることは、別の問題です。

「種のために死ぬ」という説明は、個体の死に意味を与える点ではわかりやすいものです。しかし、わかりやすさだけで生物学的な説明が正しいとは限りません。自然界に存在する行動や死を理解するためには、集団全体の物語にすべてを当てはめるのではなく、個体ごとの行動や利害を丁寧に見ていく必要があります。

グループ淘汰観の崩壊は、生命が種の存続という一つの目的に従っているという見方から、個体の行動と繁殖上の結果を具体的に調べる見方への転換を示しています。

生命は、確かに世代を超えて受け継がれていきます。しかし、それぞれの個体が、種全体の未来を考えて生きているわけではありません。動物たちはそれぞれの環境の中で行動し、その行動が生存や繁殖に影響を与えます。その積み重ねが、結果として進化を形づくっていくのです。